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  T子は夢を見ていた。
遠い、遠い、、、何十年もの前の、あの日の夢を見ていた。

  名古屋市内で作詞作曲の勉強をしているT子に、作品の申し出が有った。
2年足らずのDuoの活動があまりにも劇的に過ぎ去り、
その余韻に浸る間もないこの時期に、
この作品の申し出話はT子の創作能力を見込んだものだった。
あの日以来いつか自分のペースで作品を発表する日を夢見て、作品を認めていた。
手元には10数曲の作品がある。
訳あってDuoを休止したものの、
T子は数か月前までの『輝き』が忘れられず創作活動を続けていた。
いつか復帰を夢見ていただけに、願ってもないチャンスで有った。

  ところがT子の考えていた事と、少し様子が少し違っていた。
曲は別の有名作曲家が提供する。
T子に申し出があったのは、あくまでも『作詞』のみである。
この業界ではすごく当然の事であった。
T子のように『作詞』『作曲』『歌』がセットで、
という事のほうが当時としては珍しかった。
常にT子は『曲』に『詞』を重ねる事を得意としているだけに、
少しの不満もあり自信も無かったが、
せっかくの『作詞』の依頼は断るには忍びなかった。。
他人の曲に『詞』を重ねる事により、
作品のイメージを変わってしまう事は嫌だった、、、。
でも念願の作詞活動ができるんだ、そう言い聞かせた。

 『作詞』する事は簡単。
でも先方のアーティストのイメージに合ったものを作詞するというのも、
即答できないひとつの理由だった。
T子からすると、提供先のアーティストのイメージもある。
先方の依頼に基づくものは、T子の描く世界とは違う事が多々ある。
だからT子の名前を使用する事もプライドを傷つける。
T子の創作能力からすれば簡単であるが、今まで築いてきたイメージもある。
また『作詞』しか作品提供出来ないのは、
T子のプライドと意地がある、しかし今は仕方ない。
あくまでも『作詞』『作曲』『歌』セットで『T子ワールド』である。
『カタムラ カタコ』を自負しているT子ではあるが、
何とか作品を世に送り出したい。
T子は迷った。
それでも、詞だけでも世の中に送り出したい。


  T子はひとつの結論を出した。
そしてそれを先方に提案した。
提案内容は3つである。

1 作詞のみの場合は、T子の名前でなく、ペンネームである事。
2 『作詞』『作曲』セットの時のみ、T子の名で提供する。
3 この事は永久的に極秘である。

  先方は快くOKした。
当然だろう、作詞家の名前が違っても『T子』の作詞である。
ミリオンセールの勢いの『T子』の作詞だから、
ペンネームであってもいい。
でも見る人が見ればわかる、聴く人が聴けばその才能はわかる。
T子は満足だった。
その後『作詞 作曲』を『T子』で依頼するアーティストもいた。
これにはT子も驚いた。
そのアーティスト自身も作詞をしていたからである。
夢はいつかDuoを復活し『作詞』『作曲』で、T子自身でT子が歌う事。
その日までこの活動を続けよう。
その日までの辛抱だし、作詞の勉強にもなる。
それがT子の『プライド』であり『意地』でも有った。
そういう活動方法もまた楽しいのではないか。
だってペンネームで『作詞』の中になにげなく『T子印』をポツンと入れ、
いつか誰かT子だと気付く人がいるか、、という事に、ひとり微笑むのだった。
これも私よ、誰か気づいて、、、、心の奥底にはそんな物悲しさもあった。
『カタムラ カタコ』のジレンマでも有った。
早々ペンネームを決めた。
大阪好きの父の影響もあり、洒落も込めた。
詞だけで曲なしの『おおざっぱなタカコ』なので、
『おおざっぱ タカコ』⇒『オオザワ タカコ』だと、
誰か気づくわよね(^v^)


  2年がもうすぐというある日、
T子としてソロデビューの話が舞い込んだ。
即答した。
当然その日から『ペンネーム』の作詞は激減した。
T子は水を得た魚のごとく生き返った。
今まで書き留めていた『T子自身』のための『作詞』『作曲』した作品を、
T子自身の手によって世に発表できる。
2年間の下積みの苦労、2年間の夢が叶う。
いや『ペンネーム』での活動が2年間という期間が有ったからこそ、
T子としての今がある。
『陰の大沢孝子』と『陽のT子』ではあるが、
それぞれが認め合い成長してきた。
『大沢孝子』として色んなアーティストからの依頼に答えたからこそ、
T子としての作品の幅も増えたのだ、と。
それからのT子は堰を切ったように作品を発表していった。
Duo時代の『輝き』を取り戻した。
今後も自分の足元をしっかり見つめてマイペースな活動で、
自分のペースで作品を創り発表していこうと、心に決めた。


  T子は目が覚めた。
長い長い、本当なのかと思えるような夢だった。
なんだか自分がこれまで歩んで来た2年間にも似ていて、思わず苦笑いした。
深層心理が夢になる事は知ってはいるものの、
まさか本当に見るとは思っていなかっただけに、驚いた。
『大沢孝子』は私だよ、だと何度も言いたかった。
苦労してきた2年間。
でもその下積みが実ったのだ、、、と。
『大沢孝子』という名で生み出した作品たちは、
それぞれのアーティストの元で独り歩きしている。
それも『作詞家』として満足だった。
今後は2年前のDouのような失敗はしない、あくまでもマイペースで行こう。
誰が何と言おうが、T子ワールドのために、、、。



  T子はまた目が覚めた。
あれれ、今のも夢だったのか(^-^)
夢の中で夢を見ていたのか。
T子は窓からの木もれ陽をぼんやり見つめていた。


   今後は人の縁とか一期一会を大切にし、
『作詞』だけでも『T子』名義でも出そう。
それも『T子』の作品なんだから。
思えば何十年前にも、その機会が有ったのだ、と。






   『輝き』

ガラスの向こうに夜が明けていく
渇いた心が光を求めて
昨夜の涙もぬぐいきれるまま
明日につながる今日が始まる

冷たい雨に打たれ 街をさまよい歩いた
すべてを忘れてしまう位

元気でと手を振った もう過ぎた日に
昨日よりしたたかに歩きたい
吹きぬける風の中 今 感じてる
誰よりも 輝きを忘れない


夢をなくしても夢を探してる
奇跡を信じて生きていたいから
悲しい記憶も 消せない涙も
見えない未来の中で微笑む

にぎりこぶしの中に しまっておいた勇気と
わずかなプライト抱きしめたら

元気でと手を振った もう過ぎた日に
昨日よりしたたかに歩きたい
吹き抜ける風の中 今 感じてる
誰よりも輝きを忘れない

降りそそぐ木もれ陽に 今 目ざめたら
昨日よりしなやかに歩きたい
駈けていく風の中 今 感じてる
いつの日も輝きを忘れない



  『輝き』を最近改めて聴いて、
その奥底に秘めた気持ちを考えてみた。
何となくデビューまでの先の見えぬ不安や苦しみと、
今歩き始めた期待を『言の葉』に表したもののように思う。
この1988年7月アルバム『SOLEIL』の『輝き』が、
『大沢孝子作品』との完全別離宣言を唄ったように思う。
  1986年9月大沢孝子最後の作品『Septmber Blue』は、
同年7月発売のアルバム『私の中の微風』に含まれていても、
別に不思議でもない、とも思う。
1985年10月19日『 夢の樹 』を発売してからは、
大沢孝子さんの姿は例外の2作品発売後、完全になくなった。
岡村孝子としての2年間の空白と、『大沢孝子』として活動した2年間。
あまりにも一致した期間と、言の葉たち。

  沢田聖子さんへの提供曲は、
T子作詞と言い切っていいくらいその背景が似ている。
T子さんと大沢孝子さんが、同一人物とまで言い切らなくても、
T子さんに非常に近い存在だろうと思う。
しかし偶然も何度も重なると、偶然ではなくなる。

  また当時松任谷由美さんのペンネームは『呉田軽穂』であり、
自分では歌わない歌詞にはこのペンネームを使用していたとの事も、
当時のT子に影響したのではないでしょうか。
作品『コントラスト』でふたりが遭遇しています。
作詞 大沢孝子
補詞 呉田軽穂

  色んなケースを今までも記してきました。
しかし決定打というものがありません。
状況としては疑うものがないのですが、、、。

  色んな方法で捜索しても、もう新たな情報は出てきそうにない。
メール等で関係者に問うても、なぜだか不思議なほど口が固い。
何か意志めいたものを感じる時もある。
やはり『大人の都合』なのだろうか。
もう『過去の人』だろうに、どうしてなんでしょうか?


  改めて感謝します。
大沢孝子さんに出逢えて幸せでした。
おそらく貴女の事を必至に捜索しているのは、
このシアワセ ユキだけでしょう。
それゆえこんなに迷惑な人間もいないでしょうね。
1984年の頃の事を詮索するのですから。
貴女にとって忘れたい過去なんでしょうか。
でもそんな貴女の作品を、改めて味わってみるのもいいものです。
だってそこにT子さんの香りがするのですから。
それも『一輪の言の葉』だけを、粋にチラッとだけ残して、、、。


  改めて『消し忘れたメッセージ』を読み、
その共通する『想い出』が、何とも興味そそられるのです。

   

  『大沢孝子さん』の事をあれこれと思い、
迷い、行き詰まりながらでも、
少しずつその『大沢孝子さん』の素性に迫って行く、
その過程と新しい発見が有った時の快感や喜びは、
ほかの事とは比較になりませんね。
まるで推理小説の謎に迫る快感にも似ています。
少しずつその『真実』に迫っていたはずでした。
しかし結局は『謎』が解き明かされないまま、終わりそうです。
しかしそんな『謎』のある魅力的な大沢孝子さんです。
いつまでも追い求めていきたい気もしますが、この辺が潮時のようです。
大沢孝子さん、ありがとう。
そしてこの『大沢孝子さん捜索』に情報や、
発想に協力して頂いた方々に感謝します。
ありがとうございました。
2007年9月からですから、4年半のお付き合いですね。
しばらくは何度目かの冬眠をし、何か情報があれば復活したいと。
その日が近い事を願っています。



  今の『シアワセ ユキの夢』は、
『私が大沢孝子なのよ(^v^)』って、告白される事です。
その時はどんな顔してお会いしたら良いのでしょう。
『ごめんなさい』としか、言えないでしょうね。

  またこのブログの最後の言葉として、
『大沢孝子さん、貴女は誰ですか』と記し、ここに筆を置きます。


   2012.3 吉日  シアワセ ユキ










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大沢孝子像?
大沢孝子?

まだ見ぬ貴女は、

こんな感じでしょうか(^^♪
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